歴史

NIDEC MINSTER CORPORATION
すきの刃からプレス機まで

Nidec Minster のオリジナルサインすきの刃を研いだり石油掘削機を修理する小さな鍛冶屋から始まった Nidec Minster Corporation は、米国オハイオ州ミンスター、スペインのログローニョ、中国浙江省平湖市、メキシコのケレタロ、ドイツのハルプレヒ、そして中国の浙江省宁波市に修理・製造施設を構える世界クラスの工作機械メーカーに進化しました。

本社は、121 年前に Anton Herkenhoff と Joseph Dues がパートナーシップを開始した場所と同じ、オハイオ州中西部のミンスターにあります。1896 年 5 月、二人は Dues and Herkenhoff Machine Works を開設しましたが、同年 11 月には Joseph Dues がパートナーシップの持ち株を売却し、Anton Herkenhoff は事業名を「The Minster Machine Company」に改名しました。

今日、同社はフルサービスを提供するプレス工場のパートナーとして、世界各地で 90 か国に及ぶ金属加工産業メーカーのお客様にサービスを提供する 7 つの施設を運営しています。お客様のニーズが装置ソリューションの特定でも、製造所の運営維持のサポートでも、Minster がお手伝いいたします。

フィールドポンプパワー
フィールドポンプパワー

石油掘削装置当初の事業の大半は 20 世紀初期のオハイオ州西部での石油ブームによるものでした。これには当社の最初の製品の一つである「Fields Pumping Power」が含まれます。このメカニズムにより最大 30 までの油井を同時に掘削することが可能になりました。

フリクションクラッチ
初期のフリクションクラッチ

この地域で掘削が行われていた浅い油井の多くの問題はクラッチの故障でした。Anton Herkenhoff は修理のため Minster Machine Company に持ち込まれたクラッチを研究し、改良されたフリクションクラッチを発明して 1905 年に特許を取得しました。

その後 10 年間にわたり、同社はガソリンエンジンの大型および小型クラッチのほか、様々な滑車と動力伝達装置を専門としました。

大荷重ドリル機械1916 年、Minster は「Hi Duty Drill Press」を導入して工作機械産業に参入しました。この頑丈なプレス機は様々なサイズで製造され、荷重の大きなドリル用途に使用されました。

Minster プレスブレーキ1920 年代、Minster はそのドリルプレス機ラインを売却し、プレスブレーキを生産して板金工業に参入しましたが、その事業は短期間しか続かず、当時の経営陣は Minster の高度なクラッチ技術は機械式スタンピングプレス事業により適していると判断しました。

 

初の Minster プレス機Minster 初の機械式プレスは 1926 年に製造されました。45 米トンの Open Back Inclinable (OBI) 式プレス機は、様々なサイズの OBI プレス機の導入シリーズの一部でした。最初のプレス機である No. 5 には、Minster の特許取得済みクラッチ技術が採用されました。

初のストレートサイドプレス機1927 年、Minster Machine Company は初のストレートサイドプレス機を製造しました。この 40-41/2、75 米トンのプレス機は、受注からわずか 2 か月ほどでミシガン州デトロイト市の Bowen Products 社に納品されました。

初のダブルクランクプレス機1928 年、Minster は 50-8-60 300 米トンダブルクランク式ストレートサイドプレス機の発注を受け、その能力と製品オファーを拡大しました。インディアナ州フォートウェインの Tokheim Pump Company 社に出荷されたこのプレス機を製造するために、デザイン、サイズ、重量、機械加工、および組立の多くの問題が克服されなければなりませんでした。

1935 年当時の組立場
Large Press Assembly Bay, 1935

Minster は、10 年に及ぶ革新と品質に対する堅実な努力により大恐慌を乗り越えました。1930 年代、Minster は同じシャフトに個別のフリクションクラッチおよびブレーキを採用した初の会社となり、世界初のトランスファープレス機を製造しました。また初の箱型のクラウンおよびプレス構造を提供し、特許取得済みのエアー駆動フリクションクラッチ/ブレーキの使用を開始しました。

「民主主義の兵器廠 (しょう)」を目指した米国の努力によって米国が産業大国に変貌するに伴い、1930 年代末までに Minsterは 兵器製造会社、航空会社、造船所用のプレス機を製造するようになりました。

初の P2 Piece-Maker1948 年、Minster は「P シリーズ」として知られる「Piece-Maker」シリーズを導入しました。初の P2 は、より高速な生産速度の需要を満たすために特に開発された Minster の特許取得済み CFC クラッチを搭載したダブルクランク式ストレートサイドプレス機でした。Minster P2 プレス機は、高生産性の自動順送金型専用に設計された世界初のプレス機の一つでした。

1955 年当時の Nidec Minster1950 年代、Minster は大規模な組立および機械加工ベイを建設してその施設を拡大しました。1955 年の大幅な増築により、同社は 10 年未満で設置面積を倍増させる急成長を遂げました。

初の Minster E2 プレス機Nidec Minster は、1959 年 12 月に初の E2「HeviStamper」プレス機を出荷しました。E2 は高速ギヤ駆動が必要とされる、要件のより厳しい順送金型用途向けの重厚な組立式プレスとして設計されました。E2 はその品質、耐久性、および再販価値の評判を素早く築き上げました。

初の缶フタプレス機当初の缶のフタMinster は、開けやすいプルトップ缶のフタを大量生産するための世界発のプレス機を設計しました。

Lamination BulletinP2-200 積層プレス1964 年までに、Minster P2 Piece-Maker プレスは 10 年以上にわたって電気モータラミネーション生産の業界トップとなりました。1964 年、Minster は当時販売されていた中でも最も高速で最も精度の高い積層プレスとして、P2 の大がかりなキャンペーンを開始しました。 

Nidec Corporation2012 年 4 月、Minster Machine Company は日本の京都に本社を置く日本電産株式会社 ( Nidec Corporation) に買収されました。この買収により、Nidec Minster とそのお客様にとってグローバルなリソースの世界が開かれました。

Arisa ロゴArisa サーボプレス2015 年、Nidec Minster Corporation はスペインのログローニョにあるプレス機会社 Arisa S.A. を買収しました。この買収により Nidec Minster のお客様への製品オファーが大幅に広がり、同社のグローバルな存在がさらに増大しました。